殿堂入りのお皿たち

世の中にあまた煌めく珠玉のお皿たちの記録

コロナウイルスの見通し25 悲観論ばかりでなく楽観論も考えよう

コロナ禍の現状、将来について、世の中の情報は悲観論であふれかえっている。

二度と同じ世界には戻らない、終息には2,3年かかる、景気もしばらく元に戻らない、などなど。

これらの情報には、バイアスがかかっている。

すなわち、楽観論を述べていて、もし、現実がそれより悪くなったら叩かれる。もし、悲観論を述べて、現実が良くなれば、ああ、私の予想がはずれて良かった、で済む。

また、マスコミは、悲観論を述べていた方が視聴率がとれる。

例えば、マスコミでは、以下のような言葉であふれている。

 

「WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は「世界は私たちがいた元の姿に戻ることはできない」と言っている。」

「コロナ拡大が終息した後も、国民の消費生活は、もう、元には戻らないのではないか。自粛をきっかけに、贅沢をせず、本当に必要なモノだけを買う、という生活が定着する可能性があるからだ。」

「コロナ禍で一気に広がったテレワーク。たとえコロナが終息しても、一度、社会に浸透したテレワークは常態化する可能性が高い。在宅勤務が定着すると、いったい何が起きるのか。懸念されているのが、バブル化している都市部の不動産の暴落である。」

 

人間は、現状があまり良くなくても、状態が上向きなら生きていける生き物である。

これらの悲観論に傾いた雰囲気が蔓延しているのはとても良くない。

マスコミが、どのテレビ局も、どの新聞社も、ほぼ同じことしか言わないのも不健全である。

日本のコロナ禍は、幸いなことに世界よりも軽症であるので、世界からの予測通りでは予測できない。

私は、夏には、コロナ禍は、かなり忘れ去られている状態になっている可能性すらあると思う。それどころか、自粛の反動で、消費が活発化されている可能性すらある。全体には、多くの人の収入減により、V字復活は困難だと思うが、それでも富裕層の消費は活発化すると思う。

悲観論が幅をきかせるなら、楽観論も時には必要である。

 

夏にコロナ禍が忘れ去られているという予測の根拠を示しておこう。

 

・ウイルスは一般的に夏には不活性化する。強い太陽光により、ウイルスは野外で短時間で不活性化するからである。

・台湾や韓国などでの克服例がある。

・日本人は、良くも悪くも、忘れやすい国民性である。

・未だに東京の抗体保有率が発表されないが、おそらく、10%弱の人はすでに抗体を持っている。

・治療薬が出来ていなくても、正しい標準治療法が普及する。